兵庫県豊岡市の城崎温泉を、コウノトリと道智上人の開湯伝説、大谿川沿いの柳並木と太鼓橋の景観、「駅は玄関・道は廊下・宿は客室・外湯は大浴場」と町全体を一つの宿に見立てる外湯めぐり文化、七つの外湯それぞれの由来、志賀直哉「城の崎にて」の文学、ナトリウム・カルシウム塩化物泉の泉質、特急こうのとり・きのさきでのアクセスまで、城崎温泉観光協会や豊岡市の公式情報をふまえて整理します。
公開日: 2026.01.14
兵庫県豊岡市の城崎温泉を、コウノトリと道智上人の開湯伝説、大谿川沿いの柳並木と太鼓橋の景観、「駅は玄関・道は廊下・宿は客室・外湯は大浴場」と町全体を一つの宿に見立てる外湯めぐり文化、七つの外湯それぞれの由来、志賀直哉「城の崎にて」の文学、ナトリウム・カルシウム塩化物泉の泉質、特急こうのとり・きのさきでのアクセスまで、城崎温泉観光協会や豊岡市の公式情報をふまえて整理します。
公開日: 2026.01.14
城崎温泉は、兵庫県豊岡市にある温泉地で、浴衣と下駄で町を歩きながら七つの外湯を巡る「外湯めぐり」を軸にした温泉地である点が最大の特徴である。大きな宿の中で滞在を完結させるのではなく、町全体を一つの大きな宿に見立て、外湯を順に湯めぐりするのが城崎の流儀だ。大谿川(おおたにがわ)沿いに柳が並び、太鼓橋がかかる温泉街を浴衣姿でそぞろ歩く時間そのものが体験になる。関西から鉄道一本で向かえる外湯文化の名湯を探すなら、まず候補に挙がる温泉地である。
旅行者にとっての理解のポイントは、「外湯が七つある温泉地」という点よりも、城崎が町ぐるみで来訪者をもてなす構造を持っている点にある。志賀直哉が「城の崎にて」を書いた文学のまちであり、コウノトリと僧・道智上人の開湯伝説を持つ古湯でもある。この記事では、城崎温泉の成り立ちと外湯めぐりの考え方、七つの外湯の違い、泉質、文学と景観、宿泊との向き合い方、アクセスを、城崎温泉観光協会や豊岡市の公式情報をふまえて具体的に整理する。
城崎を理解するうえで最初に押さえたいのが、「駅は玄関、道は廊下、宿は客室、外湯は大浴場」という考え方だ。これは城崎温泉観光協会が公式に掲げる町づくりの思想で、宿の内湯にこもるのではなく、町全体を一つの大きな温泉宿と見立て、来訪者を町ぐるみでもてなしてきた歴史を表している。古くから城崎の人々は宿を客間、道を廊下とし、湯治に訪れた人々を町全体で迎えてきたと伝わる。
この構造があるため、城崎では宿選びと同じくらい「どの外湯をどう巡るか」が滞在の中身を左右する。多くの宿では宿泊者に外湯入浴の特典が用意されており、浴衣と下駄を借りて外湯へ向かうのが基本の過ごし方になる。浴衣で温泉街を歩く過ごし方そのものは浴衣で温泉街を歩く:散策の楽しみ方に整理しているので、城崎を訪れる前に読んでおくと、外湯めぐりの時間がより自然につながる。
城崎の開湯には二つの伝説が伝わる。一つは、足に傷を負ったコウノトリがこの地で傷を癒やしていたことから温泉が発見されたという伝説で、現在の外湯「鴻の湯(こうのゆ)」の名の由来になっている。コウノトリは豊岡を象徴する鳥であり、城崎の玄関口へ向かう特急の愛称「こうのとり」にもその名が受け継がれている。
もう一つが、奈良時代の僧・道智上人にまつわる伝説だ。道智上人が衆生救済を願って一千日のあいだ経を唱え続け、満願ののちに霊湯が湧き出たのが温泉の本格的な始まりとされる。この伝説は外湯「まんだら湯」に結びついており、商売繁盛・五穀豊穣の「一生一願の湯」と称される。いずれも諸説あり年代の記述には幅があるが、コウノトリと僧という二つの開湯伝説を持つこと自体が、城崎の古湯としての厚みを示している。
城崎の外湯は、鴻の湯・まんだら湯・御所の湯・一の湯・柳湯・地蔵湯・さとの湯の七つで構成され、これを順に巡るのが名物の「七湯めぐり」だ。七つはいずれも同じ城崎の源泉を引いており、泉質そのものに大きな差はないが、建物の意匠と伝わる由来・ご利益がそれぞれ異なる。下の表は各外湯の由来とご利益の目安で、営業時間や定休日・料金は時期によって変わるため、訪問前に最新情報を確認したい。
| 外湯 | 由来 | ご利益とされるもの |
|---|---|---|
| 鴻の湯 | コウノトリが傷を癒やした場所から湧出 | 夫婦円満・不老長寿、しあわせを招く湯 |
| まんだら湯 | 道智上人が一千日の修法を満願して湧出 | 商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯 |
| 御所の湯 | 1267年に後堀河天皇の姉が入湯した記録に由来 | 火伏防災・良縁成就、美人の湯 |
| 一の湯 | 江戸期に名医が「天下一」と称したことから改名 | 合格祈願・交通安全、開運招福の湯 |
| 柳湯 | 中国西湖から移した柳の木の下から湧出 | 子授安産、子授けの湯 |
| 地蔵湯 | 泉源から地蔵尊が出現したことに由来 | 家内安全・水子供養、衆生救いの湯 |
| さとの湯 | 城崎温泉駅前にある最も新しい外湯 | 駅前の立ち寄り湯として親しまれる |
初めて訪れるなら、七つすべての制覇を目的にするより、三〜四か所を無理なく巡るほうが現実的だ。外湯はそれぞれ定休日や開始時刻が異なり、朝七時から開く湯と午後三時から開く湯が混在するため、当日の案内で時間を確認しながら回るほうが無駄がない。駅前のさとの湯から町の奥の鴻の湯へと向かう、あるいはその逆をたどる形にすると、大谿川沿いを歩きながら自然に湯をつないでいける。
城崎温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉が中心とされる。塩化物泉は塩分を含むため肌に薄い被膜をつくり、入浴後も温かさが続きやすく、湯冷めしにくいのが特徴だ。城崎では源泉温度に幅があるため、集中配湯管理によって温度を整えたうえで各外湯へ送られているとされ、七つの外湯で湯の性格に大きな差が出にくい仕組みになっている。
塩分を含む湯は保温性が高い反面、外湯めぐりのように一日に何度も入浴を重ねると、のぼせや疲労につながりやすい。一回ごとの入浴を時間で区切り、外湯の合間に水分を取りながら歩くほうが無理が少ない。泉質ごとの違いを整理して読みたい場合は温泉の泉質ガイド:10種類の違いと選び方を参照してほしい。なお同じ城崎の湯でも施設や時期で体感は変わりうるため、確実に知りたい場合は各外湯に掲示された温泉分析書で泉質名を確認するのが確実だ。
城崎は、文学のまちとしての性格も併せ持つ。作家・志賀直哉は、大正2年(1913年)に山手線の電車にはねられて負傷し、その後養生のために城崎を訪れて老舗旅館に約三週間滞在した。このときの体験をもとに、蜂・ねずみ・いもりという三つの生き物の死と、九死に一生を得た自身を重ねて書かれたのが、大正6年(1917年)発表の短編「城の崎にて」である。志賀は生涯に十数回城崎を訪れたと伝わり、城崎を湯治と静養に適した地として高く評価していた。
「城の崎にて」のほかにも、城崎は多くの文人に愛されてきた。温泉街には文学碑が点在し、志賀直哉ゆかりの宿や、文学にちなんだ散策路もある。歴史や作品の細部をすべて追わなくても、外湯めぐりの合間に文学碑を眺めるだけで、この温泉地が湯治と文学の両方で人を惹きつけてきた背景が見えてくる。
城崎の景観の中心は、温泉街を貫いて流れる大谿川(おおたにがわ)である。川沿いには柳が並び、いくつもの太鼓橋がかかる。この柳並木と橋、そして夕暮れにともる灯りが重なる眺めが、城崎らしい温泉街の風景をつくっている。大谿川はやがて円山川の本流へと注ぎ、その川沿いに宿が立ち並ぶのが城崎の地形だ。
この景観は、時間帯によって表情が大きく変わる。日中は柳の緑と川の流れ、石造りの橋の細部が見やすく、夕方から夜にかけては外湯や宿の灯りが川面に映り、浴衣姿の人が行き交うことで温泉街らしいにぎわいが生まれる。外湯めぐりは入浴そのものだけでなく、外湯と外湯を結ぶこの川沿いの道を歩く時間にも価値がある。明るいうちと暗くなってからの両方を歩くと、同じ町でも印象が変わる。
城崎は日帰りでも外湯に入れるが、本来の楽しさは一泊で感じやすい温泉地だ。夜の灯りがともった温泉街の散策と、人の少ない朝の静かな町並みの両方に価値があり、これらは宿泊しないと味わいにくい。外湯を一度に詰め込まず、到着後・夕食前後・翌朝と複数回に分けて巡れる点でも、一泊のほうが余裕を持って過ごせる。冬は近隣で水揚げされるカニ料理と組み合わせる目的の旅行者が多く、季節の目的がはっきりしているのも城崎の特徴である。
宿選びでは、外湯への近さと、浴衣・外湯特典の有無を先に確認しておくと、町歩きを軸にした滞在を組みやすい。旅館と日帰り入浴施設では過ごし方が変わるため、施設タイプの違いは日本の入浴施設の種類:タイプ別の選び方で整理している。城崎の宿や日帰りで使える施設を探すなら、地域や予算で絞り込めるよう施設一覧や検索ページを用意している。
城崎温泉の玄関口は、JR山陰本線の城崎温泉駅だ。関西方面からは特急でほぼ一本でたどり着けるのが城崎の強みで、大阪駅からは特急「こうのとり」で所要およそ2時間40分、京都駅からは特急「きのさき」で所要およそ2時間20分が目安とされる。乗り換えの少なさから、外湯文化を持つ名湯としては関西からのアクセスがよいほうだ。指定席は人気シーズンに埋まりやすいため、日程が決まったら早めの予約が安心だ。
駅を降りると、そこからが「玄関」にあたる。さとの湯は駅のすぐそばにあり、各宿や外湯までは徒歩で回れる規模なので、到着後は荷物を宿に預け、浴衣と下駄に着替えて町歩きへ移るのが城崎らしい動き方だ。車で向かうこともできるが、温泉街は浴衣と下駄での散策を前提にした歩いて回る規模であり、町なかは道幅が狭く混雑もしやすい。到着後は宿や駐車場に車を置き、徒歩中心で動くほうが、この温泉地の雰囲気をつかみやすい。
七つあります。鴻の湯・まんだら湯・御所の湯・一の湯・柳湯・地蔵湯・さとの湯で、これを順に巡る「七湯めぐり」が城崎の名物です。いずれも同じ城崎の源泉を引いているため泉質に大きな差はありませんが、建物の意匠や伝わる由来・ご利益がそれぞれ異なります。
城崎温泉観光協会が掲げる町づくりの考え方で、駅を玄関、道を廊下、宿を客室、外湯を大浴場に見立て、町全体を一つの大きな温泉宿として来訪者をもてなすという思想です。宿の内湯で完結するのではなく、浴衣で町を歩いて外湯を巡るのが城崎の流儀になっています。
ナトリウム・カルシウム塩化物泉が中心とされます。塩分を含むため保温性が高く、入浴後も温かさが続いて湯冷めしにくいのが特徴です。外湯めぐりで何度も入浴を重ねるとのぼせや疲労につながりやすいため、入浴を時間で区切り、合間に水分を取るほうが無理が少なくなります。
作家・志賀直哉は大正2年(1913年)に電車事故で負傷した後、養生のため城崎に約三週間滞在し、その体験をもとに大正6年(1917年)発表の短編「城の崎にて」を書きました。志賀は生涯に十数回城崎を訪れたと伝わり、城崎は文学のまちとしても知られています。
大阪駅からは特急「こうのとり」で所要およそ2時間40分、京都駅からは特急「きのさき」で所要およそ2時間20分が目安とされ、いずれもJR山陰本線の城崎温泉駅まで乗り換えの少ない経路で向かえます。駅から各宿や外湯までは徒歩で回れる規模です。
城崎温泉は、「駅は玄関、道は廊下、宿は客室、外湯は大浴場」という思想のもと、町全体を一つの宿に見立てて七つの外湯を巡る、兵庫県豊岡市の名湯である。コウノトリと道智上人の開湯伝説、大谿川沿いの柳並木と太鼓橋の景観、志賀直哉「城の崎にて」の文学、ナトリウム・カルシウム塩化物泉のやわらかく保温性の高い湯が、浴衣で歩ける範囲に重なっている。宿の中で静かに完結する温泉地とは性格が異なり、町を歩く時間そのものが体験の中心になる。
初めて訪れるなら、一泊を前提にして浴衣と下駄に着替え、駅前のさとの湯から大谿川沿いを歩いて外湯を三〜四か所ずつ無理なく巡るとよい。夜の灯りと朝の静けさの両方を味わえば、城崎の外湯文化をひととおり体験できる。外湯めぐりと町歩きを軸に温泉地を選びたい人にとって、関西で有力な候補になる温泉地である。
城崎温泉は、兵庫県豊岡市にある温泉地で、浴衣と下駄で町を歩きながら七つの外湯を巡る「外湯めぐり」を軸にした温泉地である点が最大の特徴である。大きな宿の中で滞在を完結させるのではなく、町全体を一つの大きな宿に見立て、外湯を順に湯めぐりするのが城崎の流儀だ。大谿川(おおたにがわ)沿いに柳が並び、太鼓橋がかかる温泉街を浴衣姿でそぞろ歩く時間そのものが体験になる。関西から鉄道一本で向かえる外湯文化の名湯を探すなら、まず候補に挙がる温泉地である。
旅行者にとっての理解のポイントは、「外湯が七つある温泉地」という点よりも、城崎が町ぐるみで来訪者をもてなす構造を持っている点にある。志賀直哉が「城の崎にて」を書いた文学のまちであり、コウノトリと僧・道智上人の開湯伝説を持つ古湯でもある。この記事では、城崎温泉の成り立ちと外湯めぐりの考え方、七つの外湯の違い、泉質、文学と景観、宿泊との向き合い方、アクセスを、城崎温泉観光協会や豊岡市の公式情報をふまえて具体的に整理する。
城崎を理解するうえで最初に押さえたいのが、「駅は玄関、道は廊下、宿は客室、外湯は大浴場」という考え方だ。これは城崎温泉観光協会が公式に掲げる町づくりの思想で、宿の内湯にこもるのではなく、町全体を一つの大きな温泉宿と見立て、来訪者を町ぐるみでもてなしてきた歴史を表している。古くから城崎の人々は宿を客間、道を廊下とし、湯治に訪れた人々を町全体で迎えてきたと伝わる。
この構造があるため、城崎では宿選びと同じくらい「どの外湯をどう巡るか」が滞在の中身を左右する。多くの宿では宿泊者に外湯入浴の特典が用意されており、浴衣と下駄を借りて外湯へ向かうのが基本の過ごし方になる。浴衣で温泉街を歩く過ごし方そのものは浴衣で温泉街を歩く:散策の楽しみ方に整理しているので、城崎を訪れる前に読んでおくと、外湯めぐりの時間がより自然につながる。
城崎の開湯には二つの伝説が伝わる。一つは、足に傷を負ったコウノトリがこの地で傷を癒やしていたことから温泉が発見されたという伝説で、現在の外湯「鴻の湯(こうのゆ)」の名の由来になっている。コウノトリは豊岡を象徴する鳥であり、城崎の玄関口へ向かう特急の愛称「こうのとり」にもその名が受け継がれている。
もう一つが、奈良時代の僧・道智上人にまつわる伝説だ。道智上人が衆生救済を願って一千日のあいだ経を唱え続け、満願ののちに霊湯が湧き出たのが温泉の本格的な始まりとされる。この伝説は外湯「まんだら湯」に結びついており、商売繁盛・五穀豊穣の「一生一願の湯」と称される。いずれも諸説あり年代の記述には幅があるが、コウノトリと僧という二つの開湯伝説を持つこと自体が、城崎の古湯としての厚みを示している。
城崎の外湯は、鴻の湯・まんだら湯・御所の湯・一の湯・柳湯・地蔵湯・さとの湯の七つで構成され、これを順に巡るのが名物の「七湯めぐり」だ。七つはいずれも同じ城崎の源泉を引いており、泉質そのものに大きな差はないが、建物の意匠と伝わる由来・ご利益がそれぞれ異なる。下の表は各外湯の由来とご利益の目安で、営業時間や定休日・料金は時期によって変わるため、訪問前に最新情報を確認したい。
| 外湯 | 由来 | ご利益とされるもの |
|---|---|---|
| 鴻の湯 | コウノトリが傷を癒やした場所から湧出 | 夫婦円満・不老長寿、しあわせを招く湯 |
| まんだら湯 | 道智上人が一千日の修法を満願して湧出 | 商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯 |
| 御所の湯 | 1267年に後堀河天皇の姉が入湯した記録に由来 | 火伏防災・良縁成就、美人の湯 |
| 一の湯 | 江戸期に名医が「天下一」と称したことから改名 | 合格祈願・交通安全、開運招福の湯 |
| 柳湯 | 中国西湖から移した柳の木の下から湧出 | 子授安産、子授けの湯 |
| 地蔵湯 | 泉源から地蔵尊が出現したことに由来 | 家内安全・水子供養、衆生救いの湯 |
| さとの湯 | 城崎温泉駅前にある最も新しい外湯 | 駅前の立ち寄り湯として親しまれる |
初めて訪れるなら、七つすべての制覇を目的にするより、三〜四か所を無理なく巡るほうが現実的だ。外湯はそれぞれ定休日や開始時刻が異なり、朝七時から開く湯と午後三時から開く湯が混在するため、当日の案内で時間を確認しながら回るほうが無駄がない。駅前のさとの湯から町の奥の鴻の湯へと向かう、あるいはその逆をたどる形にすると、大谿川沿いを歩きながら自然に湯をつないでいける。
城崎温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉が中心とされる。塩化物泉は塩分を含むため肌に薄い被膜をつくり、入浴後も温かさが続きやすく、湯冷めしにくいのが特徴だ。城崎では源泉温度に幅があるため、集中配湯管理によって温度を整えたうえで各外湯へ送られているとされ、七つの外湯で湯の性格に大きな差が出にくい仕組みになっている。
塩分を含む湯は保温性が高い反面、外湯めぐりのように一日に何度も入浴を重ねると、のぼせや疲労につながりやすい。一回ごとの入浴を時間で区切り、外湯の合間に水分を取りながら歩くほうが無理が少ない。泉質ごとの違いを整理して読みたい場合は温泉の泉質ガイド:10種類の違いと選び方を参照してほしい。なお同じ城崎の湯でも施設や時期で体感は変わりうるため、確実に知りたい場合は各外湯に掲示された温泉分析書で泉質名を確認するのが確実だ。
城崎は、文学のまちとしての性格も併せ持つ。作家・志賀直哉は、大正2年(1913年)に山手線の電車にはねられて負傷し、その後養生のために城崎を訪れて老舗旅館に約三週間滞在した。このときの体験をもとに、蜂・ねずみ・いもりという三つの生き物の死と、九死に一生を得た自身を重ねて書かれたのが、大正6年(1917年)発表の短編「城の崎にて」である。志賀は生涯に十数回城崎を訪れたと伝わり、城崎を湯治と静養に適した地として高く評価していた。
「城の崎にて」のほかにも、城崎は多くの文人に愛されてきた。温泉街には文学碑が点在し、志賀直哉ゆかりの宿や、文学にちなんだ散策路もある。歴史や作品の細部をすべて追わなくても、外湯めぐりの合間に文学碑を眺めるだけで、この温泉地が湯治と文学の両方で人を惹きつけてきた背景が見えてくる。
城崎の景観の中心は、温泉街を貫いて流れる大谿川(おおたにがわ)である。川沿いには柳が並び、いくつもの太鼓橋がかかる。この柳並木と橋、そして夕暮れにともる灯りが重なる眺めが、城崎らしい温泉街の風景をつくっている。大谿川はやがて円山川の本流へと注ぎ、その川沿いに宿が立ち並ぶのが城崎の地形だ。
この景観は、時間帯によって表情が大きく変わる。日中は柳の緑と川の流れ、石造りの橋の細部が見やすく、夕方から夜にかけては外湯や宿の灯りが川面に映り、浴衣姿の人が行き交うことで温泉街らしいにぎわいが生まれる。外湯めぐりは入浴そのものだけでなく、外湯と外湯を結ぶこの川沿いの道を歩く時間にも価値がある。明るいうちと暗くなってからの両方を歩くと、同じ町でも印象が変わる。
城崎は日帰りでも外湯に入れるが、本来の楽しさは一泊で感じやすい温泉地だ。夜の灯りがともった温泉街の散策と、人の少ない朝の静かな町並みの両方に価値があり、これらは宿泊しないと味わいにくい。外湯を一度に詰め込まず、到着後・夕食前後・翌朝と複数回に分けて巡れる点でも、一泊のほうが余裕を持って過ごせる。冬は近隣で水揚げされるカニ料理と組み合わせる目的の旅行者が多く、季節の目的がはっきりしているのも城崎の特徴である。
宿選びでは、外湯への近さと、浴衣・外湯特典の有無を先に確認しておくと、町歩きを軸にした滞在を組みやすい。旅館と日帰り入浴施設では過ごし方が変わるため、施設タイプの違いは日本の入浴施設の種類:タイプ別の選び方で整理している。城崎の宿や日帰りで使える施設を探すなら、地域や予算で絞り込めるよう施設一覧や検索ページを用意している。
城崎温泉の玄関口は、JR山陰本線の城崎温泉駅だ。関西方面からは特急でほぼ一本でたどり着けるのが城崎の強みで、大阪駅からは特急「こうのとり」で所要およそ2時間40分、京都駅からは特急「きのさき」で所要およそ2時間20分が目安とされる。乗り換えの少なさから、外湯文化を持つ名湯としては関西からのアクセスがよいほうだ。指定席は人気シーズンに埋まりやすいため、日程が決まったら早めの予約が安心だ。
駅を降りると、そこからが「玄関」にあたる。さとの湯は駅のすぐそばにあり、各宿や外湯までは徒歩で回れる規模なので、到着後は荷物を宿に預け、浴衣と下駄に着替えて町歩きへ移るのが城崎らしい動き方だ。車で向かうこともできるが、温泉街は浴衣と下駄での散策を前提にした歩いて回る規模であり、町なかは道幅が狭く混雑もしやすい。到着後は宿や駐車場に車を置き、徒歩中心で動くほうが、この温泉地の雰囲気をつかみやすい。
七つあります。鴻の湯・まんだら湯・御所の湯・一の湯・柳湯・地蔵湯・さとの湯で、これを順に巡る「七湯めぐり」が城崎の名物です。いずれも同じ城崎の源泉を引いているため泉質に大きな差はありませんが、建物の意匠や伝わる由来・ご利益がそれぞれ異なります。
城崎温泉観光協会が掲げる町づくりの考え方で、駅を玄関、道を廊下、宿を客室、外湯を大浴場に見立て、町全体を一つの大きな温泉宿として来訪者をもてなすという思想です。宿の内湯で完結するのではなく、浴衣で町を歩いて外湯を巡るのが城崎の流儀になっています。
ナトリウム・カルシウム塩化物泉が中心とされます。塩分を含むため保温性が高く、入浴後も温かさが続いて湯冷めしにくいのが特徴です。外湯めぐりで何度も入浴を重ねるとのぼせや疲労につながりやすいため、入浴を時間で区切り、合間に水分を取るほうが無理が少なくなります。
作家・志賀直哉は大正2年(1913年)に電車事故で負傷した後、養生のため城崎に約三週間滞在し、その体験をもとに大正6年(1917年)発表の短編「城の崎にて」を書きました。志賀は生涯に十数回城崎を訪れたと伝わり、城崎は文学のまちとしても知られています。
大阪駅からは特急「こうのとり」で所要およそ2時間40分、京都駅からは特急「きのさき」で所要およそ2時間20分が目安とされ、いずれもJR山陰本線の城崎温泉駅まで乗り換えの少ない経路で向かえます。駅から各宿や外湯までは徒歩で回れる規模です。
城崎温泉は、「駅は玄関、道は廊下、宿は客室、外湯は大浴場」という思想のもと、町全体を一つの宿に見立てて七つの外湯を巡る、兵庫県豊岡市の名湯である。コウノトリと道智上人の開湯伝説、大谿川沿いの柳並木と太鼓橋の景観、志賀直哉「城の崎にて」の文学、ナトリウム・カルシウム塩化物泉のやわらかく保温性の高い湯が、浴衣で歩ける範囲に重なっている。宿の中で静かに完結する温泉地とは性格が異なり、町を歩く時間そのものが体験の中心になる。
初めて訪れるなら、一泊を前提にして浴衣と下駄に着替え、駅前のさとの湯から大谿川沿いを歩いて外湯を三〜四か所ずつ無理なく巡るとよい。夜の灯りと朝の静けさの両方を味わえば、城崎の外湯文化をひととおり体験できる。外湯めぐりと町歩きを軸に温泉地を選びたい人にとって、関西で有力な候補になる温泉地である。