石川県加賀市の山代温泉を、行基と八咫烏の開湯伝説、明治の総湯を復元した古総湯と源泉かけ流しの総湯の違い、北大路魯山人と九谷焼の縁、ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉という泉質、湯の曲輪の歩き方、加賀温泉駅からのアクセスまで、山代温泉観光協会などの出典をふまえて整理します。
公開日: 2026.01.14
石川県加賀市の山代温泉を、行基と八咫烏の開湯伝説、明治の総湯を復元した古総湯と源泉かけ流しの総湯の違い、北大路魯山人と九谷焼の縁、ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉という泉質、湯の曲輪の歩き方、加賀温泉駅からのアクセスまで、山代温泉観光協会などの出典をふまえて整理します。
公開日: 2026.01.14
山代温泉は、石川県加賀市にある温泉地で、共同浴場「総湯」を囲んで旅館や商店が立ち並ぶ「湯の曲輪(ゆのがわ)」という街並みが今も残るのが最大の特徴である。山中温泉・片山津温泉とともに加賀温泉郷を構成し、約1300年の歴史を持つ古湯でありながら、温泉街の中心が分かりやすく徒歩で回りやすい。北陸で湯と文化を一緒に味わえる行き先を探すなら、まず候補に挙がる名湯だ。
旅行者にとって理解のポイントは、「加賀温泉郷の有名な温泉」という点よりも、明治の総湯を復元した「古総湯」と、源泉かけ流しの現代的な「総湯」という二つの共同浴場をどう使い分けるかにある。さらに、食と陶芸の巨人・北大路魯山人が滞在し作陶に打ち込んだ地であり、九谷焼との縁も深い。この記事では、山代温泉の歴史と泉質、二つの総湯の違い、温泉街の歩き方、アクセスを、山代温泉観光協会などの公式情報をふまえて具体的に整理する。
山代温泉の歴史は古く、山代温泉観光協会によれば、開湯は約1300年前の神亀2年(725年)にさかのぼる。僧・行基がこの地を訪れた際、一羽の烏が羽の傷を癒している水たまりを見つけたのが始まりと伝わる。この烏が三本足の八咫烏(やたがらす)であったことから、湯は古くから「烏の湯」とも呼ばれた。八咫烏は日本神話で導きの神とされる存在で、開湯伝説に神話的な性格を与えている。
ただし、伝説のどの要素がいつ整えられたかには諸説があり、八咫烏のモチーフが前面に出た時期については議論もある。史実をすべて確かめなくても山代の魅力は十分に伝わるが、温泉街に立つ烏の意匠や「烏の湯」という呼称の出どころを知っておくと、街歩きの見え方が少し変わる。
山代温泉でまず知っておきたいのが、湯の曲輪の中心に並ぶ二つの共同浴場、「古総湯」と「総湯」の違いだ。両者は名前が似ているが、性格は対照的である。
「古総湯(こそゆ)」は、明治時代の総湯を外観・内装ともに復元した共同浴場で、浴室の床や壁には当時のまま九谷焼のタイルが用いられ、ステンドガラスから差し込む光が湯面を照らす。山代温泉観光協会はこれを「入浴しながら温泉の歴史や文化が楽しめる体験型温泉博物館」と説明している。重要なのは、洗い場の構造が現代の浴場と異なる点だ。古総湯にはカラン・シャワーの設備がなく、石鹸やシャンプーは使えない。湯に浸かって楽しむ「湯あみ」という当時の入浴方法をそのまま再現しているため、体を洗う場ではなく、湯と空間そのものを味わう場と考えるとよい。
一方の「総湯」は、加水なしの100%源泉かけ流しを掲げる、広く新しい現代的な共同浴場だ。熱交換システムを導入し、洗い場も備わるため、通常の公衆浴場に近い感覚で利用しやすい。初めての旅行者で使いやすさを重視するなら総湯、山代らしい象徴的な体験を求めるなら古総湯、という選び方になる。湯の曲輪に向かい合って建つので、両方を続けて体験するのも難しくない。共同浴場と旅館・日帰り施設の違いを整理したい場合は日本の入浴施設のタイプも参考になる。
| 項目 | 古総湯 | 総湯 |
|---|---|---|
| 性格 | 明治の総湯を復元した体験型 | 現代的な共同浴場 |
| 湯づかい | 湯あみ(浸かって楽しむ) | 100%源泉かけ流し |
| 洗い場 | カラン・シャワーなし | あり |
| 内装 | 九谷焼タイル・ステンドガラス | 広く新しい設備 |
| 向く人 | 歴史・文化を体験したい人 | 使いやすさ重視の人 |
なお、古総湯の建築のように、湯の空間そのものを設計として味わう視点に関心があれば、湯の体験を設計する日本の温泉建築もあわせて読むと、共同浴場の見方が広がる。
山代を語るうえで欠かせないのが、北大路魯山人との結びつきだ。魯山人は篆刻・書・陶芸・料理に通じた近代日本を代表する芸術家で、金沢の文人・細野燕台に招かれ、大正4年(1915年)から翌年にかけて山代温泉に滞在した。この滞在中、燕台の煎茶仲間でもあった初代・須田菁華の窯(菁華窯)に通い、陶芸の手ほどきを受けながら作陶に打ち込んだと伝わる。山代は、後の「美食の芸術家」魯山人の才能が陶芸へと広がっていく転機の地だったといえる。
魯山人が寄宿した別荘の跡は、現在「魯山人寓居跡 いろは草庵」として公開されている(平成14年開設)。木造瓦葺きの母屋と土蔵を使い、仕事場・書斎・囲炉裏の間を見学でき、土蔵を改装した展示室では作品も見られる。山代が古くから九谷焼の里に近く、文人や職人が行き交う土地だったことが、こうした文化の厚みを支えている。歴史を細かく追わなくても、いろは草庵に立ち寄り、古総湯の九谷焼タイルを眺めるだけで、湯と工芸が重なるこの温泉地の個性が見えてくる。
山代温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉が中心とされる。塩分を含む湯は肌に薄い被膜をつくり、入浴後も温かさが続きやすいのが塩化物泉の傾向で、硫酸塩泉系の成分もあわせ持つ。山代温泉観光協会は、同じ温泉地のなかに微妙に異なる三つの泉質があると説明しており、源泉や施設によって体感が変わりうる点が特徴だ。
「美肌の湯」と紹介されることも多いが、強い美容効果を約束するものとして受け取るより、入り心地や保温感の傾向として理解するのが妥当だ。保温性が高い湯は、長湯をするとのぼせや疲労につながりやすいため、入浴は時間で区切り、合間に休憩と水分補給を挟むほうが無理が少ない。泉質の確実な確認は各施設に掲示された温泉分析書で行うのがよく、泉質ごとの違いをもう少し知りたい場合は温泉の泉質を初心者向けにを参照してほしい。
山代温泉の街歩きの軸になるのが「湯の曲輪(ゆのがわ)」だ。共同浴場を中心に旅館や商店が円を描くように立ち並ぶ北陸特有の街並み形態で、古総湯・総湯・足湯がこの中心に集まっている。まずここを歩くと街の構造がつかみやすく、湯の曲輪を一周しながら二つの総湯に入り、いろは草庵や土産店に寄る流れだけでも山代の核心はつかめる。
温泉街は巨大ではないため、宿での滞在時間も確保しやすい。到着日の午後に湯の曲輪を歩いて共同浴場を体験し、翌日に周辺の九谷焼の窯元や那谷寺、加賀温泉郷の他エリアへ足を延ばす——という組み立てがしやすい。山中温泉の渓谷美や片山津温泉の湖畔景観とは性格が異なり、山代は「共同浴場文化と工芸を歩いて味わう」タイプと捉えると、旅のテーマを決めやすい。山代の宿や日帰り入浴施設を探すなら、地域や予算で絞り込めるよう施設一覧や検索ページを用意している。
山代温泉の玄関口はJR加賀温泉駅だ。2024年3月の北陸新幹線・金沢〜敦賀間の延伸で加賀温泉駅にも新幹線が停車するようになり、首都圏からの所要が短縮された。金沢方面からは新幹線や在来線で加賀温泉駅へ向かい、駅からは路線バスまたはタクシーで山代温泉に入るのが基本となる。駅から温泉街まではバスでおよそ10〜15分が目安だ。
車の場合は北陸自動車道の加賀インターチェンジなどが拠点になり、那谷寺や山中温泉・片山津温泉といった加賀温泉郷の他エリアも回りやすい。公共交通でも山代温泉単体なら比較的動きやすいが、複数の温泉地や窯元を一度に巡るなら、バスの本数や最終便、移動時間を事前に確認しておくと余裕が出る。金沢観光と組み合わせる場合は、山代を主役にするか周遊の一部にするかを先に決めておくと、滞在時間の配分に迷いにくい。
古総湯は明治時代の総湯を復元した体験型の共同浴場で、浴室に九谷焼のタイルやステンドガラスを用い、湯に浸かって楽しむ「湯あみ」を再現しています。カラン・シャワーはなく石鹸類は使えません。総湯は加水なしの100%源泉かけ流しを掲げる現代的な共同浴場で、洗い場も備わり通常の公衆浴場に近い感覚で使えます。
ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉が中心とされます。保温性が高く入浴後も温かさが続きやすい湯で、山代温泉観光協会によれば同じ温泉地内に微妙に異なる三つの泉質があるとされます。源泉や施設で体感が異なります。
魯山人は金沢の文人・細野燕台に招かれ、大正4年(1915年)から翌年にかけて山代温泉に滞在しました。初代・須田菁華の窯に通って作陶に打ち込んだと伝わり、寄宿した別荘の跡は「魯山人寓居跡 いろは草庵」として公開されています。
約1300年前の神亀2年(725年)、僧・行基が烏の傷を癒す水たまりを見つけたのが開湯の始まりと伝わり、この烏が三本足の八咫烏とされることから「烏の湯」とも呼ばれました。伝説の成立過程には諸説があります。
加賀温泉駅から路線バスまたはタクシーで山代温泉に入ります。温泉街までバスでおよそ10〜15分が目安です。2024年3月の北陸新幹線延伸で加賀温泉駅にも新幹線が停車するようになり、首都圏からのアクセスが向上しました。
山代温泉は、共同浴場を囲む「湯の曲輪」の街並みが残る、石川県加賀市の名湯である。明治の総湯を復元した体験型の「古総湯」と、源泉かけ流しの現代的な「総湯」という対照的な二つの共同浴場を中心に、約1300年の歴史と、北大路魯山人・九谷焼にまつわる文化の厚みが徒歩圏に重なる。泉質はナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉が中心で、加賀温泉郷の中でも歩きやすさと文化要素のバランスがよい。
初めて訪れるなら、古総湯と総湯のどちらに重きを置くかを先に決め、湯の曲輪を一周して街の構造をつかむとよい。北陸旅行に湯と工芸の両方を入れたい人にとって、有力な候補になる温泉地である。
山代温泉は、石川県加賀市にある温泉地で、共同浴場「総湯」を囲んで旅館や商店が立ち並ぶ「湯の曲輪(ゆのがわ)」という街並みが今も残るのが最大の特徴である。山中温泉・片山津温泉とともに加賀温泉郷を構成し、約1300年の歴史を持つ古湯でありながら、温泉街の中心が分かりやすく徒歩で回りやすい。北陸で湯と文化を一緒に味わえる行き先を探すなら、まず候補に挙がる名湯だ。
旅行者にとって理解のポイントは、「加賀温泉郷の有名な温泉」という点よりも、明治の総湯を復元した「古総湯」と、源泉かけ流しの現代的な「総湯」という二つの共同浴場をどう使い分けるかにある。さらに、食と陶芸の巨人・北大路魯山人が滞在し作陶に打ち込んだ地であり、九谷焼との縁も深い。この記事では、山代温泉の歴史と泉質、二つの総湯の違い、温泉街の歩き方、アクセスを、山代温泉観光協会などの公式情報をふまえて具体的に整理する。
山代温泉の歴史は古く、山代温泉観光協会によれば、開湯は約1300年前の神亀2年(725年)にさかのぼる。僧・行基がこの地を訪れた際、一羽の烏が羽の傷を癒している水たまりを見つけたのが始まりと伝わる。この烏が三本足の八咫烏(やたがらす)であったことから、湯は古くから「烏の湯」とも呼ばれた。八咫烏は日本神話で導きの神とされる存在で、開湯伝説に神話的な性格を与えている。
ただし、伝説のどの要素がいつ整えられたかには諸説があり、八咫烏のモチーフが前面に出た時期については議論もある。史実をすべて確かめなくても山代の魅力は十分に伝わるが、温泉街に立つ烏の意匠や「烏の湯」という呼称の出どころを知っておくと、街歩きの見え方が少し変わる。
山代温泉でまず知っておきたいのが、湯の曲輪の中心に並ぶ二つの共同浴場、「古総湯」と「総湯」の違いだ。両者は名前が似ているが、性格は対照的である。
「古総湯(こそゆ)」は、明治時代の総湯を外観・内装ともに復元した共同浴場で、浴室の床や壁には当時のまま九谷焼のタイルが用いられ、ステンドガラスから差し込む光が湯面を照らす。山代温泉観光協会はこれを「入浴しながら温泉の歴史や文化が楽しめる体験型温泉博物館」と説明している。重要なのは、洗い場の構造が現代の浴場と異なる点だ。古総湯にはカラン・シャワーの設備がなく、石鹸やシャンプーは使えない。湯に浸かって楽しむ「湯あみ」という当時の入浴方法をそのまま再現しているため、体を洗う場ではなく、湯と空間そのものを味わう場と考えるとよい。
一方の「総湯」は、加水なしの100%源泉かけ流しを掲げる、広く新しい現代的な共同浴場だ。熱交換システムを導入し、洗い場も備わるため、通常の公衆浴場に近い感覚で利用しやすい。初めての旅行者で使いやすさを重視するなら総湯、山代らしい象徴的な体験を求めるなら古総湯、という選び方になる。湯の曲輪に向かい合って建つので、両方を続けて体験するのも難しくない。共同浴場と旅館・日帰り施設の違いを整理したい場合は日本の入浴施設のタイプも参考になる。
| 項目 | 古総湯 | 総湯 |
|---|---|---|
| 性格 | 明治の総湯を復元した体験型 | 現代的な共同浴場 |
| 湯づかい | 湯あみ(浸かって楽しむ) | 100%源泉かけ流し |
| 洗い場 | カラン・シャワーなし | あり |
| 内装 | 九谷焼タイル・ステンドガラス | 広く新しい設備 |
| 向く人 | 歴史・文化を体験したい人 | 使いやすさ重視の人 |
なお、古総湯の建築のように、湯の空間そのものを設計として味わう視点に関心があれば、湯の体験を設計する日本の温泉建築もあわせて読むと、共同浴場の見方が広がる。
山代を語るうえで欠かせないのが、北大路魯山人との結びつきだ。魯山人は篆刻・書・陶芸・料理に通じた近代日本を代表する芸術家で、金沢の文人・細野燕台に招かれ、大正4年(1915年)から翌年にかけて山代温泉に滞在した。この滞在中、燕台の煎茶仲間でもあった初代・須田菁華の窯(菁華窯)に通い、陶芸の手ほどきを受けながら作陶に打ち込んだと伝わる。山代は、後の「美食の芸術家」魯山人の才能が陶芸へと広がっていく転機の地だったといえる。
魯山人が寄宿した別荘の跡は、現在「魯山人寓居跡 いろは草庵」として公開されている(平成14年開設)。木造瓦葺きの母屋と土蔵を使い、仕事場・書斎・囲炉裏の間を見学でき、土蔵を改装した展示室では作品も見られる。山代が古くから九谷焼の里に近く、文人や職人が行き交う土地だったことが、こうした文化の厚みを支えている。歴史を細かく追わなくても、いろは草庵に立ち寄り、古総湯の九谷焼タイルを眺めるだけで、湯と工芸が重なるこの温泉地の個性が見えてくる。
山代温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉が中心とされる。塩分を含む湯は肌に薄い被膜をつくり、入浴後も温かさが続きやすいのが塩化物泉の傾向で、硫酸塩泉系の成分もあわせ持つ。山代温泉観光協会は、同じ温泉地のなかに微妙に異なる三つの泉質があると説明しており、源泉や施設によって体感が変わりうる点が特徴だ。
「美肌の湯」と紹介されることも多いが、強い美容効果を約束するものとして受け取るより、入り心地や保温感の傾向として理解するのが妥当だ。保温性が高い湯は、長湯をするとのぼせや疲労につながりやすいため、入浴は時間で区切り、合間に休憩と水分補給を挟むほうが無理が少ない。泉質の確実な確認は各施設に掲示された温泉分析書で行うのがよく、泉質ごとの違いをもう少し知りたい場合は温泉の泉質を初心者向けにを参照してほしい。
山代温泉の街歩きの軸になるのが「湯の曲輪(ゆのがわ)」だ。共同浴場を中心に旅館や商店が円を描くように立ち並ぶ北陸特有の街並み形態で、古総湯・総湯・足湯がこの中心に集まっている。まずここを歩くと街の構造がつかみやすく、湯の曲輪を一周しながら二つの総湯に入り、いろは草庵や土産店に寄る流れだけでも山代の核心はつかめる。
温泉街は巨大ではないため、宿での滞在時間も確保しやすい。到着日の午後に湯の曲輪を歩いて共同浴場を体験し、翌日に周辺の九谷焼の窯元や那谷寺、加賀温泉郷の他エリアへ足を延ばす——という組み立てがしやすい。山中温泉の渓谷美や片山津温泉の湖畔景観とは性格が異なり、山代は「共同浴場文化と工芸を歩いて味わう」タイプと捉えると、旅のテーマを決めやすい。山代の宿や日帰り入浴施設を探すなら、地域や予算で絞り込めるよう施設一覧や検索ページを用意している。
山代温泉の玄関口はJR加賀温泉駅だ。2024年3月の北陸新幹線・金沢〜敦賀間の延伸で加賀温泉駅にも新幹線が停車するようになり、首都圏からの所要が短縮された。金沢方面からは新幹線や在来線で加賀温泉駅へ向かい、駅からは路線バスまたはタクシーで山代温泉に入るのが基本となる。駅から温泉街まではバスでおよそ10〜15分が目安だ。
車の場合は北陸自動車道の加賀インターチェンジなどが拠点になり、那谷寺や山中温泉・片山津温泉といった加賀温泉郷の他エリアも回りやすい。公共交通でも山代温泉単体なら比較的動きやすいが、複数の温泉地や窯元を一度に巡るなら、バスの本数や最終便、移動時間を事前に確認しておくと余裕が出る。金沢観光と組み合わせる場合は、山代を主役にするか周遊の一部にするかを先に決めておくと、滞在時間の配分に迷いにくい。
古総湯は明治時代の総湯を復元した体験型の共同浴場で、浴室に九谷焼のタイルやステンドガラスを用い、湯に浸かって楽しむ「湯あみ」を再現しています。カラン・シャワーはなく石鹸類は使えません。総湯は加水なしの100%源泉かけ流しを掲げる現代的な共同浴場で、洗い場も備わり通常の公衆浴場に近い感覚で使えます。
ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉が中心とされます。保温性が高く入浴後も温かさが続きやすい湯で、山代温泉観光協会によれば同じ温泉地内に微妙に異なる三つの泉質があるとされます。源泉や施設で体感が異なります。
魯山人は金沢の文人・細野燕台に招かれ、大正4年(1915年)から翌年にかけて山代温泉に滞在しました。初代・須田菁華の窯に通って作陶に打ち込んだと伝わり、寄宿した別荘の跡は「魯山人寓居跡 いろは草庵」として公開されています。
約1300年前の神亀2年(725年)、僧・行基が烏の傷を癒す水たまりを見つけたのが開湯の始まりと伝わり、この烏が三本足の八咫烏とされることから「烏の湯」とも呼ばれました。伝説の成立過程には諸説があります。
加賀温泉駅から路線バスまたはタクシーで山代温泉に入ります。温泉街までバスでおよそ10〜15分が目安です。2024年3月の北陸新幹線延伸で加賀温泉駅にも新幹線が停車するようになり、首都圏からのアクセスが向上しました。
山代温泉は、共同浴場を囲む「湯の曲輪」の街並みが残る、石川県加賀市の名湯である。明治の総湯を復元した体験型の「古総湯」と、源泉かけ流しの現代的な「総湯」という対照的な二つの共同浴場を中心に、約1300年の歴史と、北大路魯山人・九谷焼にまつわる文化の厚みが徒歩圏に重なる。泉質はナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉が中心で、加賀温泉郷の中でも歩きやすさと文化要素のバランスがよい。
初めて訪れるなら、古総湯と総湯のどちらに重きを置くかを先に決め、湯の曲輪を一周して街の構造をつかむとよい。北陸旅行に湯と工芸の両方を入れたい人にとって、有力な候補になる温泉地である。