自然の成り行きに任せて眠りに落ち、自然の成り行きに任せて目覚める。現代社会において、これほど贅沢なことがあるだろうか。
8月の始まりを知床で迎えた。目を開けると、カーテンの外はすでに明るく、カモメの力強い鳴き声が部屋にまで響き渡っている。実に心地いい響きだ。昨夜は「UNEUNA」での極上のサウナ体験の余韻に浸ったまま、いつの間にか深い眠りに落ちていたらしい。時計に目をやると、時刻は4時30分。頭も身体も、嘘のようにスッキリとしている。
「北こぶし知床 ホテル&リゾート」の朝風呂は5時から利用できる。小生はベッドの上でゆっくりと身体を起こし、窓の外に広がるオホーツク海の絶景を眺めた。雲ひとつない快晴である。この後も、朝イチの澄み渡る空気の中で、この絶景を独り占めしながら外気浴ができそうだ。そう考えただけで、鼓動が早くなっていくのを感じる。
5時ジャストに大浴場「大海原」へと向かう。昨日の男性側は「UNEUNA」であったが、今日は男女が入れ替わり「KAKUUNA」側となっている。浴室に足を踏み入れると、小生以外にもすでに数名の猛者たちが顔を揃えていた。皆、朝一番のオホーツク海の景色とサウナが待ちきれなかったのだ。その気持ちは、痛いほどよくわかる。
秒速で館内着を脱ぎ捨て、内湯の大きな窓の前に立つ。昨日と同じように、一面に広がるブルーの海景色が網膜に飛び込んできた。正直なところ、この窓の先に絶景が広がっているのを目の当たりにする高揚感は、何度でも味わいたい。あやうくもう一度脱衣所に戻り、入り直しの儀式をするところであった。しかし、チェックアウトの11時まで時間はたっぷりある。朝食前に3セット、食後に3セット。今日のスケジュールはこれで決まりだ。
身を清め、いよいよ「KAKUUNA」の扉を開ける。
そこには、昨日の「UNEUNA」の柔らかな曲線とは打って変わって、直線的で力強い空間が広がっていた。流氷をイメージして作られたという三角パネルが連続する木造の意匠。そして、ストーブを囲む壁面には、火山から流れ出た溶岩のを表現した六方石がそびえ立っている。そのシャープで研ぎ澄まされた美しさに、思わず息を呑んだ。
ベンチに腰掛けると、正面の窓ガラスがまるで額縁のように朝のオホーツク海を切り取っている。自分が美しい写真の中の世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。サウナストーブは約90℃を指しており、10分おきに作動するオートロウリュが静かに湿度を保っている。
朝一番のサウナは、昼や夜に比べて汗の出が遅い。だが、それがいいのだ。熱気に身体がゆっくりと反応し、細胞の一つ一つが「起きろ」と命じられて目覚めていくのがわかる。静寂の中、知床の環境音のBGMだけが優しく耳に届き、徐々に小生の心拍数が跳ね上がっていく。
昨日も感じたことだが、このサウナ室には「会話OK」のサインが掲げられている。しかし、誰一人として言葉を発する者はいない。この研ぎ澄まされたデザインと、ガラスの向こうに広がる圧倒的な景色を前にすれば、他愛もない世間話など野暮に思えてしまうのだろう。誰もが1秒でも長くこの空間に滞在し、目の前の景色を感じ、自分自身を整えることだけに集中している。言葉は不要なのだ。
圧倒的な没入感の中で身体を熱し尽くした後、サウナ室を出てすぐにある水風呂へ向かう。水深90cm、温度は約15℃。一気に肩まで沈み込むと、寝起きの身体の血管が急激に収縮し、脳天を貫くような冷気が全身を駆け巡った。完璧にシャキッとした身体を引きずり、屋上の外気浴スペース「TOKONOUテラス」へと歩を進める。
幸運なことに、屋上は貸切状態であった。
見渡す限りの青空と、地平線の彼方まで続く穏やかな海。上空には多くの鳥が舞い、清々しい風が吹き抜けていく。空気の透明度が違うのか、景色すべてが信じられないほど澄み渡っている。
チェアに腰掛け、朝の知床の海風を全身に浴びた。なんという気持ちよさだろうか。もう、1ミリも動きたくない。いや、動けないのだ。このまま身体の境界線が溶けて、オホーツク海の一部になってしまうのではないかという錯覚。活動のエネルギーが充填されるまで、永遠にここに居座り続けたい。そんな空間である。
しばらく呆然と空を眺めていると、別の客がテラスにやってきた。彼は景色を見た刹那、「はああ、最高……!」と小さく言葉を漏らし、そのままじっと海を見つめていた。おそらく、彼が感じていることのすべてが小生と完全に一致しているに違いない。そう、総じて最高なのである。
その後も、直線美が際立つ「KAKUUNA」→深い水風呂→「TOKONOUテラス」での外気浴という至高のループを3回繰り返した。5時に大浴場に来たはずが、脱衣所を出る頃には7時を回っていた。
1セットごとに名残惜しさが募り、特に外気浴に関しては、自分がこの雄大な景色の一部でなくなることにえも言われぬ寂しさを感じ、なかなかテラスから離れることができなかったのだ。



朝食をしっかりと平らげ、部屋でしばらく休息を取った後、小生は宣言通り再び大浴場へと舞い戻った。チェックアウト前に追加の3セットを敢行するためである。出発のギリギリまでこの極上の体験を貪り尽くし、悔いのないように幕を下ろしたい。
余談ではあるが、チェックアウト前、施設側に許可をいただき清掃が始まるタイミングで浴室内の撮影をさせていただく機会を得た。そこで小生は、スタッフの方々の清掃のきめ細かさに思わず目を奪われた。水路を仔細にチェックし、蓋を開け、隅の隅まで徹底的に磨き上げているのだ。
利用している間、変な汚れや不快な匂いなど微塵も感じなかったのは、こうした日々の地道な積み重ねのおかげなのである。我々が「最高だ」と叫びながら整える裏側には、施設を守る人々の魂が込められている。その事実に、深く頭が下がる思いであった。
11時。ついにチェックアウトの時が来た。
人生で一度は訪れてみたいと憧れ続けた「北こぶし知床」。ここでの別れはたまらなく寂しいが、立ち止まっているわけにはいかない。次の目的地が小生を待っているからである。
さて、これからどこへ向かうのか。車を走らせるのは中標津町である。
そこには、大自然と完全に一体化し、自然そのものに溶けてしまうかのような稀有な体験ができる宿が存在する。小生が「死ぬまでに必ず行ってみたい」と強烈に渇望していた場所。
その宿の名は、「湯宿だいいち」である。





