気がついたら車に乗り、淡路島を疾走していた。
時刻は午前10時過ぎ。朝のコーヒーを飲んでいた時、頭の中にふと「大阪サウナDESSE」の文字が浮かんだ。浮かんだ刹那、もう駄目だった。どうしても行きたい。今日行きたい。そうして家を飛び出したのである。
宿は決めていない。プランもない。完全なノープランである。
しかし、小生は知っている。こんな思いつきの旅でも、自宅に戻る頃には必ず「ほんまに最高やった!」という顔をしているのだ。予定がなくても、宿がなくても、サウナさえあれば旅は成立する。むしろ、何も決まっていない方が面白い。それがサウナ旅というものなのである。
明石海峡大橋を渡りながら、窓の外に目をやる。空はどんよりと重く、雨が降っている。普通の旅人なら肩を落とす空模様だろう。だが小生は、内心ほくそ笑んでいた。雨の日の露天風呂がどれほど気持ちいいかを、知っているからである。
さて、「大阪サウナDESSE」は夜の楽しみに取っておくとして、昼間に寄るべき場所がある。兵庫県三木市の「野天スパ 十界の湯」だ。
ここは、兵庫県でもトップクラスの施設だと小生は思っている。以前訪れた時、施設全体のクオリティの高さに打ちのめされた。あまりに良くて、必ずまた来ると心に決めていた場所である。大阪へ向かう道の途中にあるのだから、寄らない理由はない。
三木東ICで高速を降りると、数分で到着した。「十界の湯」は、森と丘に囲まれた大自然のテーマパーク「ネスタリゾート神戸」の中にある。駐車場に車を停めると、見覚えのある外観が目に飛び込んできた。どっしりと構え、王者の風格が漂っている。
エントランスを抜けた刹那、お香の香りがふわりと漂ってきた。この時点で、すでに鼻腔を支配されていた。受付を済ませ、大浴場までの長い通路を歩く。木と石を使った落ち着いた内観は、まるで温泉旅館のようだ。一歩進むごとに、日常が背中の方へ遠ざかっていく。
ちなみに「十界」とは仏教の言葉で、人の心の境地を10の段階に分けたものだそうだ。地獄から仏まで、人の心はその日その時で行ったり来たりする。この施設は、様々な風呂やサウナでその境地を表しているらしい。さて、今日の小生はどの境地に辿り着けるのだろうか。
脱衣所で秒速で服を脱ぐ。最高の体験の幕開けである。
身を清め、まずは内湯の炭酸泉で体を温める。細かい泡が肌にまとわりつき、じんわりと熱が入ってくる。準備は整った。露天風呂へ向かう。
森の中に大小の露天風呂が点在し、その全てに細い雨が静かに降り注いでいる。木々の葉が雨粒を受け、土と緑の匂いが立ちのぼる。マイナスイオンなるものが本当に存在するなら、今この場所に全部集まっているのではないかと思う。
少し肌寒い。その寒さを抱えたまま、約40℃の天然温泉に身を沈めた。
「ああぁ……」
思わず声が出た。塩化物泉の湯が、冷えた体を芯から包み込んでくる。深呼吸をすると、雨に洗われた新鮮な空気が、肺の奥まで入ってくる。
しばらく放心していたが、次第に体が温まり、空っぽになった体に、少しずつエネルギーが満ちていくのがわかる。
十分に温まったところで、階段を上がって2階へ向かう。上がりきる前から、スモーキーな香りが漂ってきた。焚き火である。外気浴スペースで囲炉裏の焚き火を囲むことができる。これこそ、この施設の醍醐味なのだ。サウナと水風呂の後、存分に堪能することにしよう。
サウナ室の扉を開ける。黒を基調とした空間の中心に、SAWO製のikiストーブが堂々と鎮座している。広い座面の真ん中に腰を下ろし、ゆっくりと目を閉じる。サウナ室にも、焚き火のスモーキーな香りが入り込んでいる。熱と、木と、煙の匂い。これはもう、森の中の小屋でサウナに入っているのと同じではないか。
じわじわと汗が滲み、やがて流れ出す。心拍数が上がってくれば、潮時である。
サウナ室の隣にある水風呂もまた、完璧だった。水温は14〜15℃。15人は入れそうな広さに、しっかりと深さもある。肩まで沈めた刹那、血管が一気に引き締まった。広いので、隣の人と肩が触れる心配もない。窮屈さとは無縁の空間で、たっぷりと体を冷やした。
そして、ついに焚き火の前に座る。
薪がパチパチと爆ぜる音。立ちのぼる煙の香り。そして、外気の冷たさをちょうどよく打ち消してくれる炎の温かさ。焚き火と外気浴の相性は、最強という他ない。この組み合わせを考えた人は天才だと思う。
炎から目を離し、周りの森を眺める。雨に濡れた木々が、静かにそこに立っている。何百年も前から、人はこうして火を囲んで、ぼんやりしてきたのだろう。スマホもない。仕事もない。話しかけてくる人もいない。あるのは火と、森と、温泉だけだ。それだけで、人間はこんなにも満たされるのである。1ヶ月分の疲れが、煙と一緒に空へ昇っていくのがわかった。
そこから先は、もう無心だった。
森の露天風呂に吸い込まれ、広いサウナ室で体を熱し、大きな水風呂でシャキッと締める。そして焚き火が待っている。何セットしたかは数えていない。数える必要もなかった。

大浴場を出て、レストランでチキン南蛮定食を注文した。
食後はしばらく休憩処でぼんやりしていた。このまま眠ってしまいたい誘惑に駆られる。しかし、それは許されない。次の施設が、小生を待ち受けているからだ。
雨はまだ降っている。ワイパーを動かし、大阪へ向けて車を走らせる。今夜の目的地は「大阪サウナDESSE」である。
